「ローズナイフ・ロマンス2」 その@


 美しく端麗で、でも無口で人付き合いの悪い事からローズナイフと呼ばれていた狩野三森は今、ある女性との触れ合いに至極の喜びを感じていた。その女性の名は長崎桐。美人というより可愛いくて、誰とでも仲良くできる彼女と、近づく者を拒むかのような壮麗さを持つ三森は、不思議と惹かれ合い、その日々を楽しんでいた。
 それが友情なのか、それとも愛なのか、それは分からなかった。しかし、そんな事は2人にとってはどうでもよかった。


 出会いの春が終わりを告げ、暑い太陽と夏休みが近づいていた。
「桐。成績どうだった?」
 1学期最後のその日、昼休み、校庭の隅で三森は桐に聞いた。空は穏やかで、辺りには彼女達の他にも何人もの生徒達がいた。皆、成績表の事で沈み、夏休みの事で浮かれていた。
「まあまあです。でも、いつもそんな感じですから。三森さんはどうでしたか?」
「1番だった」
「凄いじゃないですか」
 桐はただでさえ大きい目をより大きくする。対して三森は静かだ。
「そう?勉強が出来れば人生勝ちってわけでもないし」
「でも、悪いって事も無いと思いますけどね」
「……そうね」
 そう言って、三森は苦笑いを漏らした。成績がいいのは前からだったが、今回は少し嬉しかった。
 三森と桐は同学年だった。でも、桐は三森の事を「さん」づけした。三森はそれに抵抗を感じなかった。雰囲気的にも三森の方が年上のように思われるし、何より2人はその関係が気に入っていた。
 成績の話が一区切りつき、桐は三森の顔を覗き込む。
「ところで、三森さん。夏休みはどう過ごすつもりですか?」
「特に決めてないわ。うちでゆっくり本でも読もうって思ってる」
「お友達とかとどこかに出かけないんですか?」
「クラスにはそんなに仲のいい人いないし……」
 三森は淡々と言う。クラスの生徒達は海に行く約束をしたり、遊園地に行く約束なんかをしていた。それを馬鹿げた事とまでは思わなかったが、そんな事ではしゃいでいる光景を羨ましいとは思わなかった。
「だったら、私とどこかに行きませんか?」
 そんな三森の顔が、桐の一言で変わる。
「桐と?どこへ?」
「私の叔父さんがペンションを経営してるんです。夏休みにちょっと空きがあって、来ないかって」
「……ペンション」
 三森は外出があまり好きではなかった。まだ海に行った事も無い。三森は人が多い所が好きではなかった。そんな彼女にとって、人の少ないペンションはなかなか魅力的な場所だった。何より、桐と一緒に行ける事が重要だった。
「どう…ですか?」
 桐の顔色は不安だらけだ。三森が派手な格好で外出するタイプではない事くらい、桐でも分かっていたらしい。
 そんな彼女に三森は笑顔を向ける。
「いいよ、行こうか。他に人はいないんでしょ?」
「叔父さんがいますけど、その人だけです」
「そう、なら大歓迎よ」
 桐と2人だけの旅行。想像しただけで、楽しそうな予感がした。少しだけ、クラスの生徒達の気持ちが分かったような気がする。
「嬉しいです。じゃあ、早く宿題済ませちゃいます!」
 桐は子供のようにはしゃいだ。つられて、三森も笑った。こんな顔が好きだから、一緒になる事を望んだのかもしれない。
 空はまだ、ずっと蒼かった。どこかで、蝉の鳴く声が聞こえた。


 そして夏休みに入った。三森はいつも最初の数日で宿題を全て終わりにしてしまうタイプだった。残った日を楽しく過ごそうという気持ちもあったが、彼女にとっては勉強も読書も同じ価値しかなかった。つまり、やる事が無いから宿題をするのだ。
 だが、今回の休みは今までとちょっと違った。早く終わりにしてしまいたい。そんな気持ちがあった。桐との約束の日は、8月は初めだった。
 そして三森はその日までに全ての宿題を終わりにした。これほど、充実した日は無かったと、三森は後になってそう思うのであった。


「いい天気ですね。旅行にはもってこいの日ですね」
「そうね」
 晴天の下、2人は最寄の駅のホームに立っていた。三森は黒のワンピース、桐は淡い白のシャツと淡い色のジーパンという格好だ。2人の性格を見事に現したような格好だった。
 そんな2人に共通していたのは、大きなボストンバッグを持っている事だ。中には1日分の服などが入っている。タオルなどは向こうで用意されているという事なので、持って来ていなかった。
「これからずっと休みだと思うと気が楽ですね」
 桐は大きくノビをする。
「そうだね。それで、そのペンションって遠いの?」
「電車で2時間くらいです。でも、結構都会から離れてるんで、空気も美味しいですよ」
「へぇ。よさそうな所ね」
 都会の空気を不味いと感じた事は無かった。子供の頃から都会に住んでいたからだ。だから、正直に言えば、そんな事はどうでも良かった。大事なのは、誰と行けるか、という事。
 向こうから電車がやってくる。普段は乗らない色の電車だ。いつもとは違う所に行くんだ、という意識が出てくる。
「ご両親にはもう連絡したんですか?」
「このバッグの中を見れば、言わなくたって分かるわよ」


 電車で2時間ほど行った、田舎の駅に2人は降りた。2時間も行くと人工物より自然物の方が多くなっていた。緑の山が辺り一面を囲っている。
「いい所ね。静かだし、落ち着くわ」
 三森は大きく息を吸い込み、深呼吸した。よく分からないが、美味しいような気がした。桐と一緒にここに来たという気持ちがそう感じさせていたのかもしれない。
「喜んでくれて何よりです」
 桐は三森の手をとってゆっくりと歩き出す。久々の桐の手は相変わらず暖かかった。
 簡単に整備された道を20分ほど歩くと、木々の向こうに1軒だけ家が建っていた。お洒落な洋風の家で、もう少し子供っぽかったら「ヘンゼルとグレーテル」の家のようだ、と三森は思った。
「やあ、桐ちゃん久しぶり」
 玄関から出てきたのは60過ぎの白髪の男だった。品のいい顔つきで、若い男には無い落ち着きと品があった。桐は小さくお辞儀をする。
「お久しぶりです、毅(つよし)叔父さん。で、この人が前電話で言ってた三森さんです」
「どうも、お世話になります」
 三森は大きくお辞儀をした。毅と呼ばれたその男はにっこりと笑う。
「これは綺麗なお嬢さんだ。とても桐の友達には見えないな。さあ、入りなさい」


 家の中は木の香りが漂っていて、シックな感じだった。装飾は派手でなく、でも雰囲気をちょっと変えるには十分な感じで、三森はそのバランスの良さに感心した。
 桐と三森は大広間に通され、そこで暖かい紅茶を出された。ほのかに甘くてとても美味しかった。
「とても美味しいです」
 三森が言うと毅はありがとうと言って煙草に火をつけた。
「君みたいな若い子が来てくれて私も張り切り甲斐があるよ。1泊だけど、ゆっくりしていってくれ」
「はい。ありがとうございます」
 毅はそれから近くのコンビまで30分かかる事、食事は全部自分がやる事などを話してくれた。
「2階に部屋があるから、そこに泊まってくれ。2人で1つの部屋を使うかい?」
「はい。叔父さんにあまり迷惑かけたくないですから。1部屋の方が片付けが楽でしょう?」
 桐が即答した。毅は苦笑いをして、煙草の火を灰皿に押し付ける。
「そうだね。でも、2人は仲がいいね。全然違うタイプに見えるけれど」
「だからって事もありますから」
 桐がはにかみながら言う。桐の言う通りなのか、三森には分からなかった。でも、間違っているとも思えなかった。凸凹を埋め合うような感じはする。でも、それだけではない。
 毅は深く追求する気は無かったようで、そうかと一言だけ言って立ち上がる。
「それじゃあ、夕食は7時だから、それまではゆっくりしてていいよ。お風呂に入ってもいいし、近くを散歩するのも自由だよ」
「はい、分かりました」
 紅茶を飲み干した三森は丁寧に答えた。この人なら問題無いと思った。


 桐と三森は2階の部屋でバッグを降ろした。窓がついていて、そこから、さっきの駅が小さく見える。あとはただ緑の山しか見えない。太陽は暮れかけていて、山の彼方に消えようとしていた。
「本当にいい所ね。あの人も優しそうな人だったし」
 三森はベッドに腰を降ろす。ベッドが2つあり、もう片方には桐が座っていた。
「はい。品があって、いいですよね」
「あういう人、好きなんだ」
「人として、です。今の私にはちょっと年上過ぎます」
 桐は笑うと、ベッドに仰向けになった。時間は午後3時。夕食にはまだ時間がある。ここでずっと話をしていてもいいが、それだけではつまらない。
「桐。ずっとここにいるのも退屈だから外に出ない?この辺りって何か観光できる所ってあるの?」
「近くに小さな湖があります。貸しボートとかもありますよ」
「じゃあ、それに乗らない?」
「はい。喜んで」


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